2024年2月3日土曜日

初めて知った本当の不安

入院して2ヶ月が過ぎた。

私としても、人生の後半でこんなことになるとは思わず、乳がんが最初に見つかった時も放射線のピンポイント治療で腫瘍は消え、10年間は普通に過ごしていました。10年後、再発を告げられた時は、当初は再発だと治らないという世の常識に縛られ、不安になったものの、代替治療を続けていたら(と言っても、そこまで高額なものはやってません。そもそも、お金がなかったので)、腫瘍は小さくなってきたので、再発後3年くらいはそこまでの不安はなく過ごしてこられました。まだ、身体も普通に動きましたし。それが、2017年か2018年くらいから、皮膚転移が始まり始めたのです。良くなってきていると思っていただけに、不安がむくむくと膨らんできました。


皮膚転移は一度良くなったかに見えましたが、それはただの過程で、徐々に大きくなっていきました。外に腫瘍が出るだけならまだいいのですが、私の場合、皮膚転移は左胸の皮下に蟹の甲羅のように被さって癒着している感じで、多分、いわゆる鎧状がんというのでしょうか、皮膚の下で左の体幹を圧迫し、私は腰の深く曲がったおばあちゃんのようになってしまいました。もう買い物出るほどは歩けず、部屋の中だけの生活。外は電動車椅子です。こうなると、今後の不安は増しました。一番は、満足に仕事ができず、生活費や治療費をどうするか、、、。中にはやめたサプリメントや治療もありました。さらに、ベッドでまっすぐに寝れなくなり、睡眠の質も落ちていきました。こんなことで病気が良くなるわけがありません。リクライニングの作業椅子に座って寝ることも多くなりました。常に体は座ったような状態。どんどん知らない間に疲れも溜まっていっていたのでしょう。それと同時に不安も無意識のうちに積もっていたような気がします。


パソコンで文字を書くだけの仕事は何とかできたので、企画書や提案書を書くような仕事をもらってはやっていたのですが、Wordでファイルを最終的に作らなければならない提案書は、膝の上にMacBook Proを乗せて作業するため重くてかなり疲れます。やはりベッドに寝たまま、少し上半身を上げた姿勢で、パソコン作業するのは結構しんどい。

なので、iPhoneやiPadで文章を書いてネットにアップすればいいnoteやブログだけで、生活費や治療費が賄えるほど稼げることが、今の私にとっては1番体にも優しいし、それ故にそうできることが、今の私の目標でもあるのです。


ノートの作家やブロガーやもし可能なら、YouTuber、それをちゃんと稼げる仕事にするために、引き続きそれぞれのページではサポートをお願いしております。なにとぞよろしくお願いいたします。


ちょっと不安な話から離れてしまいましたね。でも、お金がないということは、他の不安も増大させてしまうのです。かといって、お金さえあればいいと言うものでもないのですが、お金がないと言う事はやはり大きな不安につながります。私は実家の住宅ローンを抱えているということで、ある意味、それを言い訳に貯金を怠ってきてしまいました。蓄が少なかったことを、こうして病気になってみて反省したと言う馬鹿者です。皆さん人生何が起こるか分かりません。ちゃんと貯金はしておきましょうね。まぁ私が言っても説得力ないですが、、、。


がんが再発し、体が動きづらくなり、経済的に頼る人もなく、常に不安はあったわけですが、そうした不安は本当の不安ではないと言うことをさらにその先知ることになります。

もちろん、上記のようなことも大きな不安です。しかし、それとはまた質の違う不安が襲ってくるようになりました。


これまでこれだけたくさんの不安がありつつ、それでもなんとなく自分は大丈夫と思うことができていました。しかし、今回急に手で体を支えてつたい歩きをしても自分で歩けなくなり、入院してみて、これまで感じたことのない不安を感じるようになったんです。それはまさに死への不安です。


以前、このノートにも入院後、怖かった話として、うとうとしながら目が覚めて、その時私は既に死んでいるんじゃないかと思ったと言う話を書きましたが、その時は本当に怖かった。それは不安を超えていたと思います。その時の文章にはその理由として、その日、鎮痛剤をいつもよりたくさん飲んでいたこと、その副作用ではないかということや、常にベッド上に寝かされ、ベッドから滑り落ちることを懸念して、ベッドから足を下ろしてはいけないということで、ベッドにセンサーまでつけられていたこと、そういうことがまるで監禁されているような気分にさせ、私に妄想を見させたのではないか、、、。そういうことを書いています。本当にそれが理由だったかは分かりませんが、その時に初めてあの世へ行ってしまう怖さというか不安を感じたのです。この世の誰かとつながっていないと今ここで寝てしまったら、私は本当にあの世に引きずられていってしまうのではないか。そういう思いが私の背中をゾクゾクさせました。こういう時、誰に連絡すればいいのか?迷いつつ、何箇所かにLINEを送り、返事をもらって、何とかこの世とつながっている実感を得ることができ、その後眠ることができました。


よく死を覚悟すると言いますが、私にはなかなかそれはできそうにありません。しかし、宗教書であるとか、神や仏の教えと言うものには、死をも生をも超越し、死の覚悟等と言う概念も乗り越えねば、悟りの世界は知ることができないと言われています。

私というものが怖くて怖くてしょうがない。自分というのを今回初めて深く実感しました。私は大層この世に未練がある俗物であるということも改めて知りました。しかし、清濁合わせ飲むと言うように、人間そんなに正しく生きられるものでもない。そして、それがいいとも限らない。


かつてあなたは三途の川を渡りかけて途中で引き返してくるんでしょうそういうシナリオになってるんでしょと言われたことがあります。荒唐無稽な話ですが、途中で引き返してくるという言葉は、私の不安をずいぶん小さくしてくれました。ただ三途の川を渡りかけると言う状態がどういう状態を指すのかよく分かりませんが、既にこの前1度、私は死んだと言う感覚を抱いたことが三途の川を渡りかけということであればいいのになぁと思いつつ、そんな甘いもんでは無いのかなあとも思いつつ。でもそういう人間社会の常識的な考え方で考えるのもこういう場合は間違いなのかなとも思ったりしつつ、結局はそんなこと考えず、今は養生し、考えすぎず、今を楽しみ(といっても、体が突っ張って動きづらかったり、背中の床ずれの周辺やサージカルテープを貼ったところがかゆかったり痛かったりすると、なかなか楽しむという境地になるのは難しいのですが。)今まで何でも考えすぎて細かいことを言い過ぎていた自分からもっとおおらかな自分に生まれ変われるようゆったり日々暮らせればと思います。


死ぬのが怖いならば、怖いよーって泣けばいい我慢などする事は無い。それが正直な自分です。


話は変わりますが、朝ドラのブギウギを見ていると、あんなに自分の存在を求めてくれる人がいても、人は死んでしまいます。私は自分にはそうした人がいないから、死への覚悟ができないのだろうと思っていました。そういう人がいるから、覚悟ができて、不安も小さくなるということでもないのだろうなぁ。


なんだか不安とタイトルに目打った割には、不安の正体についてあまり掘り下げられなかった気がします。でも、やっぱり私の不安は私はこの病気では死なないということを信じられなくなりかけたときにむくむくと膨らみ始め、なんとなく病状が良くなっているような気がし、このまま生きていられるかもしれないと思うときに小さくなる気がします。ご飯がまずく感じたり、食欲がなかったり、体のつっぱりが増して体幹が動きづらくなったり、単純に鎮痛剤が切れて調子が悪くなると不安になり、また薬を飲んでそうした症状が軽くなると大丈夫かもと思える。その程度の不安のようです。


結局は死にたくないだけか…。

生きるとか死ぬとか考えないようにする事はできないものなのかなぁ。

しかし、ややスピリチュアルに、過去の後悔や、未来の心配をせず、今のことだけを考えよという人も腹をくくってと言うような言い方をする方は多いです。腹をくくってってどういうことなんだろう?この場合やはり死ぬとか生きるとか置いといてってことなのでしょうか。確かにそうできれば不安と言うものはなくなる気がします。もしかしたら、こんな分析みたいな文章も書いてる場合では無いのかもしれません。こういうことを書けば興味を持って読んでもらえるのではないかと言う下心がないとも言えない。う〜ん、また考えすぎのスパイラルに入ってきそうなので、今回はこの辺で終わっときます。


現在1時的にショートステイに移っていて、個室なので、喋りながらマイクで拾って文章を書いてみました。一次よりもかなり精度が上がり、ほとんど音を拾い間違う事はありませんでした。すごいすごい。これまではキーボードで手で書くのと語り書きでは出てくる内容も違うものになると言う気がしていましたが、今回こうして書いてみて、その辺はどうなのかよくわからなくなってきました。手で書いた方が深い思考ができる気がしなくもないですが、考えすぎないというのが今の私の目標でもあるので、まぁいいかなと思っています。こちらの方が目も疲れませんね。なので、病院に戻ったらこんな長い文章が書けるものか、ちょっと自信がありませんが、その分体が良くなるようがんばります。


というわけで、いつもいつもで申し訳ありませんが、何卒、治療も含めた私の活動へのサポートよろしくお願いいたします。いかがサポートの窓口となっております。


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2024年1月22日月曜日

2023年末からも入院。そのご報告詳細とクラウドファンディングのおねがい

 みなさま、ご無沙汰しておりました。


再び入院し、更新が止まってから早40日が経ってしまいました。実際、なかなか1つのことを文章にまとめるのが大変だったのです。


入院前、朝、目がさめると、家で、急に体が動かなくなり、自分の手足で立ち上がる事も歩くこともできなくできなくなっていました。だからトイレにも行けない。もちろん胸を洗う事も。これはもう人手を借りるしかない。それまではギリギリまたげていた風呂場の入り口の段差も、左脚が上がらず入れない。トイレならオムツでなんとかなるものの、胸の滲出液はどうしようもない。それで、外来の看護師さんに電話し、緊急入院することにしました。


入院した最初の頃は、5文字書いてはうつらうつらし、夢と現の間を彷徨ったりしていたため、ちっとも文章が進まず、友人からのメールの返信にも数日かかったような状態でした。

そのため仕事もできず、他のスタッフにおねがいすることに。経済的には大変困っているのに声を出す事も億劫で、Youtubeもなかなかはじめられない状況です。


住宅ローンはもうギリギリ、あと一回払えなかったら、家の権利は保証会社にわたり、団体信用保険も効力がなくなるため、現在、価格が落ちている田舎の実家では、借金残高の方が多く、かえって出費が多くなるのです。


また、先日、母が東京へ来ましたが、その時に、東京で暮らす事は到底無理と実感しました。思ったより物忘れがひどく、スマホを持ってても使えない、ほとんど私が世話せねばならないような状態。1人だとどこへも行けず、故郷の友人らを思い、寂しいとこぼし出します。これでは、私の食事を作るどころか、先に、東京にやられてしまいそうです。

母には現在、生活保護を受けてもらっていますが、うちの地元は生活保護費も低くて、年金もらうのと1万円しか違わず、月6万ちょいで暮らせという。今、水道光熱費も高いし、母も80代で、働けるパワーはもうなくなってきてるし、酷な金額です。ただ、母も高血圧の薬とか飲んでるんで、それが無料になるのだけはありがたい。


なかなか声出すのも大変で、Youtubeやるのもままなりませんが、ここはnoteを広めるためにもやるべきか?毎回、2、3分ならしゃべれるかなあ、、、。


とにかく、お金になることをやらねば、病気どころではない。


当面の問題は1月25日午前までに18万5千円のクレジットカード代金を払わないと、カードが解約され、他に契約はもうできないので、noteさえ更新できなくなるというピンチ。

貸していただけるのでも良いので、ここを乗り切りたい。


その次は入院の問題。国の決まりで、同じ病院には2ヶ月しかおられず、1月31日には退院せねばならないのですが、わたしまだ、自分の力で立って、歩けないのです。一週間から10日ほど家で過ごせば、病院のベッドさえ空いていれば戻ってくることができるそうです。しかし、31日の時点でまだ歩けなければ、在宅でこれまで週2日だったヘルパーさんを極限まで増やし、胸の処置などで、在宅看護師さんにきてもらわねばならない。しかしそれには、7、8万の金額がかかりそうですが、母も私もそんなお金はない。もちろん、これまでの入院費もかかります。高額医療費制度で安くはなりますが、それでも今の私には大金。そこで、私の入院治療費として、自分立ち上げのクラウドファンディングをやれないかと思っているのです。


身体の方はわずかずつではありますが、入院後、その前に比べれば、動けるようになってきていると思います。ただ、時間はかかっている。なので、なんとか自分の足で立って、手の力を借りてでも、トイレや風呂場に行けるようにまで回復したい。そして、そこから、奇跡の再発乳がん回復劇に挑戦したいのです。


入院して、今回はもうだめかもと思った時もありました。しかし、ここへきて、身体も少しずつ動きやすくなってきて、最初はあまり食べられなかったご飯もだいぶ食べられるようになってきました。マグミットという便秘薬を日に一錠と便を押し出すというか、出やすくするピコスルファートという薬は飲まされますが、お通じも毎日あります。自分ではマグミット飲まなくても出るのではないかと思うのですが、それは看護師さんが許してくれません。


にしても、身体というのはすごいです。

入院直後は怖い思いもしました。その辺はまた別の項目で書きます。

ですので、何卒何卒、私を助けてください。

noteを書き続け、奇跡の寛解に向かい、火鉢カフェを作り、皆さんにお返しができるようがんばらせてください。

何卒よろしくお願い申し上げます🙇‍♀️。


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参考までに私が2022年GW頃に朝日新聞beに連載おりました、がんについて、生きることについての連載をリンクしたいと思います。    

これは一昨年に書いたものなので、まだ、歩くことができる頃のものです。有料記事ですが、、、


https://www.asahi.com/articles/DA3S15259364.html



2024年1月22日 春

中村有里

yuridas67@mac.com

2023年11月9日木曜日

119に感謝🥲その2

 救急車を呼ぶのは2回目だが、去年の1度目は病院に入院するときに救急車で来てくれという病院からの要請で、その方が緊急入院しやすいからとのことだった。ケアマネさんが119番し、ヘルパーさんも付き添って、実はそれほど緊急性は無かった。


今回、救急車を呼んだのは私自身。部屋の中には私しかいなかった。

このところ、脚が浮腫んで歩きづらく、一歩の幅は15cmほどかと思えるほど小さく、特に左足の甲は膨らんで、指と足の裏全てを床に着けられず、常に爪先立ち。右足に重心を乗せて、左は爪先だけで支えながら、とぼとぼ歩くような状態だった。

私の場合、転んだが最後、自分の力では起き上がれない。だから、こんな足の状態で、転ばないように一歩一歩、細心の注意を払って歩いているつもりだった。2、3ヶ月前にはもう少し歩幅も広かったし、第一、足も浮腫んでいなかった。それがここ3週間ほど、急に脚が浮腫み始め、こんな状態になったのだ。  

転んだ原因は足元のゴミを拾おうとして、膝を深く曲げすぎたこと。浮腫んでいるので、思ったより膝が深く曲がらず、バランスを崩してしまった。

身体がこうなって初めて、ただの起き上がるという動作も、人間がいかに色々な筋肉の力で行なっているかがわかる。今の私は腹筋と背筋がほぼ使えない。ということは脚の力と腕の力で、どこかにつかまりながら起き上がらねばならないのだが、今の私は脚が浮腫んで脚に力も入らない。とすると、腕だけで起き上がらなくてはならないが、うまく掴める場所がなかったのだ。

その1にも書いた前提の部分が長くなってしまった。
その2は、救急車が来てからの顛末である。一応、119の前に、ケアマネさんにも電話したが、土日なので留守電だった。しかし、今にして考えれば、ケアマネさんでは、来てもらっても対応できなかったと思う。

119に電話すると、まず、急病人ですかと聞かれた。急病人の場合、空いている救急の窓口を至急探さねばならないからだろう。私は、頭を打ったとはいえ、意識はしっかりしていたので、とりあえず、自分が部屋で転んだこと。私は転ぶと自力では立ち上がれないこと、それで、とりあえず立ち上がらせて欲しいこと、頭は打ったが、痛くないし目眩などもここまでないので、救急で急いで運ぶ必要はないのではないかということを説明した。ただ、室内から鍵が閉まっているのに、私がドアのところまで動けないため、管理会社に連絡して開けてもらわねばならない。しかし、マンションの管理室のおじさんは常駐ではなく、午前中に掃除に来るだけだし、土曜日なので、管理会社も臨時の警備の人しかおらず、そこから担当者を呼んできてもらうには小1時間はかかるだろうということ、そして、この床に小さく蹲ったような変な姿勢で、自分の体力が保つか心配なことも説明し、管理会社の電話番号を119の電話口の担当者に託した。

とりあえず、救急隊は10分くらいでそちらに向かいますとのこと。それで、少し待っていたら、119から電話がかかってきた。そちらに急病人がいると聞いているのですが、それはご本人ですか、どなたですか?という。この電話はコチラに向かっている救急隊ではないかと思われたが、情報が錯綜しているようだ。すぐ病院に運ばねばならない急病人はいません。転んでしまったが、自力で立ち上がれない身体なので、起こして欲しいのですと、再度お願いする。

流石に一分一秒を争うスピードで動いているので、こういう情報の行き違いも起こるのだろう。しかし、ここで確認できたことで、救急病院に向かう救急車が一つ無駄にならなかったのでよかった。

119番してから10分ほどで本当に救急隊はやってきた。ただ、まだまだ全ての情報が正確に伝わってはいなかったようで、救急隊は玄関のドアをドンドンたたいて、私の名前を呼んでいる。私がドアのところまで行けないことが理解されていないようだった。救急隊はしばらく、ドアを叩いて私を呼び続けていた。私もできるだけ大きな声を出して、そこまで動けないんですと叫ぶが、マンションの音の流れというのは不思議で、隣の人がドアの外でワイワイしていたら中にはよく聞こえるのに、中からはどんなに大きな声で叫んでも聞こえないらしいのだ。

これは、いつもヘルパーさんとのやり取りでも生じている。むこうの「こんにちは着きました。ドア開けてください」という声はよく聞こえるのに、私が「すぐ出るので、ちょっと待ってください」という声は全く聞こえないらしいのだ。ドアと私の椅子の距離ってほんの4、5mくらいしかないのだが、、、。

話を救急に戻す。
すると、また119から電話がかかってきた。今、そちらに隊員がついてると思いますというので、私は動けず、鍵が開けられない旨、管理会社に連絡するか、それ以外に開ける方法があるのか?と話すと、今、その場でなんとか中に入る方法がないか試していますという。確かに、ドアの鍵の辺りからガチャガチャと音がする。しかし、なんだか難しそうだ。
すると、電話口の向こうの声が、今、お隣がいらしたので、ベランダからの侵入を試みていますという。これは土日の効用だった。平日だったらお隣さんは皆仕事に出ていたかもしれない。

で、侵入時にベランダに置いてあるものが壊れる可能性があるが、ご了承くださいとのこと。命には変えられない。もう、何が壊れてもいい。はい、大丈夫ですと答える。119の電話担当者が中継をして、現場と私の情報を繋げて、作業を進める。もしかして壊れるものが出るかもしれないということも、一つ一つ了承をとって作業は進んでいった。


やがて、救急隊員はうちのベランダに侵入。しかし、ベランダには侵入できても、サッシの鍵は閉まっているはず。それをどうするのか...。
鍵を緩めようとしたり、いろいろ試みているようだが、なかなか開かない。ベランダからは、厳しいな、、、という声が聞こえてくる。私も2箇所あるサッシの片方の鍵は開けっぱなしにしていたかもしれないと隊員に話しかけたが、ダメですね。閉まってますとの返事。これは、管理会社に来てもらうのを待つしかないか、、、。そう思っていたら、119の電話口からまた声がした。今、いろいろな方法を試していますが、もしどうしてもダメな時は、ガラスを割ってもいいですか?という最終確認。一瞬、頭の中に、サッシのガラス変えたらいくらくらいかかるだろう、今の私の所持金では足りないのは明白だという思いがよぎったが、ここはそんなこと言っていられない。そして、ダメならガラスを割るのもやむなしとの旨を伝え、作業を続けてもらった。

それから数分、何やら、外がワイワイして、開いたぞという声が聞こえる。ガラスの割れる音は聞こえていない。なんと、救急隊はガラスを割らずにサッシの鍵を開けてくれたのだ。
どうやって開けられたのかは、セキュリティの関係上、話すことはしないが、凄い技術である。これはレスキュー退院なのだろうか?声は若めの男性だったと思う。その後、サッシの前にも油圧温熱機があったり、段ボールに詰めた書類などが置いてあって邪魔なのを、これ退けていいですかと確認しつつ、私の方に近づいてきてくれ、今度は玄関ドアの方に行って、そちらを開けると、医療関係の救急隊の人たちが雪崩れ込んできた。

救急隊員は「意識は大丈夫ですか」「痛いところはないですか」「どこかぶつけていませんか」など質問し、ワキに体温計を入れて体温を測り、指には血中酸素濃度を測る測定器をつけ、腕で血圧を測ってくれた。「バイタル異常なし」の声に私もホッとした。
ただ、頭を椅子のヘリにぶつけていたので、その旨を話すと、その辺りを押さえて、痛いですかと聞かれた。痛くはなかったので、痛みはないし、打った当初から目眩などもないというと、このまま病院に行くことはないと思いますが、しばらく気にかけておいてくださいとのこと。

そして、そこまでバイタルチェックが続いて、いよいよ私を起こして、椅子の上に乗せる作業に移った。普通なら、力の入る右手を誰かが掴んで引っ張り上げればいいような気もするが、それでは私の身体は持ち上がらなかった。足で地面を踏み込めないということはこういうことだ。起き上がるという行為は、全身全ての筋肉が連動して初めて可能になることを実感する。

そこで、救急隊員は私の両脇から腕を入れようとしたが、左胸は皮膚転移の癒着つまり鎧があって、力を入れて引っ張れない。右の脇の下にも大きめのしこりがあって、腕を入れられない。急いでその旨を話すと、どこを持って持ち上げれば良いか、隊員も困っていた。結局、左腕の下の方、肘のあたりに手を添え、右手は手を繋いで引っ張り上げ、あと真後ろからもう一人がお尻の両側を持って持ち上げた。すると、足の力を使わずして、身体が浮いた。「もう少しだ、我慢して」の声と同時に、もうひと押しというか、もうひと上げしたら、なんとか私の身体はいつも座っている椅子の座面の高さまで浮き上がり、座面に乗せてもらうことができたのだった。これで一安心。あとは、これまで以上に最新の注意を払って歩くことだ。

救急対応で、私の病状を詳しく聞く間もなく対応せねばならないのに、ちゃんと私の要望を聞きながら、問題なく起き上がるところまで処置してくれた救急隊員には感謝しても仕切れない。救急隊員の中の女性医師か女性看護師は体温を測るときに少し血がついたので、この転んだことによる外傷ではないかと心配したが、これは常から皮膚転移の部分から出ている滲出液と血液がパッドに沁みたのがついたものでと説明すると安心していた。とはいえ、皮膚転移でパッドをつけた病人は珍しいので、マスクの向こうの顔は心配げだった。

救急隊員はすぐに次があるのだろう。テキパキと仕事を済ませると、風のように去っていった。結局、ガラスも割らず、管理会社の人の手も煩わせず、全て解決してくれた。本当にありがとうございました😭これだけの仕事をしてくれて無料である。自治体の負担で、実際には救急1出動で、数万円から十数万円の費用がかかっているそうだ。救急の出動を有料にしている国もあるが、日本のこの制度は続けて欲しい。そのためにも今問題になっている、救急車をタクシーのような使い方で呼ぶなど、本当に緊急でない場合に無闇矢鱈な使い方をするのは控えるようにしたい。

本当に今回は助けられた。感謝しても仕切れない。救急隊よありがとう。

日本の医療は様々な問題を抱えている。私は自分が病気になることによって、そのありがたさを感じているが、この仕組みを存続するには財源が足りないらしい。しかし、医療に関わる実態を見ると、必要以上に薬を処方されている人は多いし、まずは病気にならない予防医学への認識が日本では低い気がする。本当に必要な人に届くように、この意識を徹底せねばならない。病気になってしまったという点では私は反省すべきだ。なんとか回復して、それ以後は、本当に必要な人にサービスが届くことを後押ししたい。

救急が来てくれなかったら、私は本当に生きる気力を失っていたかもしれない。
119に感謝🥲

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救急に助けられたとはいえ、浮腫のひどい足を捻ってたり、頭を打ったり、しばらく同じ変な姿勢で助けを待っていたため、圧迫打撲していたり、それらの回復のために身体が動いているのもあり、かつ、火曜日の悪天候による身体への影響は酷く、ただでさえ高価な鎮痛剤の処方量を増やさざるを得なくなっています。なんとか頑張って、皆様に自分の現状や世の中の問題を発信していけたらと思います。
それを続けるためにもサポート何卒よろしくお願いいたします。

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119に感謝🥲その1

 いや〜11月4日(土)は大変な1日だった。1日というのは大袈裟で、大変なことが起こった日だったとした方がいいだろう。もしかしたら、今も文章なんか書いている場合じゃないのかもしれない。


本当に緊急の意味で消防隊を出動させてしまったのだ。
理由は転んだから。
普通は転んだって起き上がればいいだけだが、今の私の身体は、一旦、転んでしまうと、自分だけの力では起き上がれないのだ。体幹に鎧のように腫瘍が癒着するとはそういうことだ。

床に落ちたゴミを手で拾おうとしたのが失敗の元。最近はさらに胸の鎧に引っ張られる形で、腰が深く曲がっている私。さらに脚が浮腫んで、左膝は曲がりづらい。それが深くしゃがもうとしたものだから、一瞬バランスを崩してしまった。力のある右手でゴミを拾おうとしていたもんだから、周囲の家具などに捕まることもできず、そのまま後ろに倒れ込んでしまった。

狭い部屋に物をぎゅうぎゅうに置いているから、とっさに家具の一部を掴んだりして、転ぶのを免れることもあるが、今日はそれが仇となり、転んだときに、椅子の座面の角に後頭部をぶつけてしまった。ゴツんという音に驚き、もうダメか、、、と思ったが、意外にも眩暈もなく、痛みもそれほどない。それよりも、左膝の浮腫んだ部分がいつもは曲げない角度で曲がったので、そちらの方が痛かった。しかし、痛いどころではない。床に転がってしまった私は果たして起き上がることができるのか?

やはり、思った通り、体幹の筋肉に力を入れようとすると、皮下の鎧が体内で剥がれようとする感じがして、力が入れられない。私の身体は破れてしまうのではないか、そんな気がする。今は足も浮腫んでいて力が入らない。垂直に立って、体重を支えることくらいはできるが、脚の裏がぺったりと床につかない。寝転んだ状態から、爪先だけ床につけて体を持ち上げるような力は私の爪先にはない。

使えるのは右手、右腕の力のみ。どこか掴むところを見つけて、少しでも体を浮かせるものか、、、。でも、そんな都合の良い場所に丈夫な掴める場所などなく、格闘虚しく、私はまだ床に転がっていた。

これは自分の力ではダメだ。助けを呼ぶしかない。しかし、電話が手元にない。なんとか携帯電話の場所までは身体を引きずっていかねばならない。たしか、テーブルの上、こちら側の端っこにあったはずだ。私が倒れているところから1mほどだろうか。健常なら立ち上がって手を伸ばせばすぐに取れる距離だ。しかし、今の私にはそこまで行けるかもわからない。

うつ伏せになれば、右の手のひらを床につき、腕の力だけでうつ伏せで身体を浮かせるかと思ったが、それもできなかった。もはやどこの筋肉に力を入れても、胸の鎧に響いて力を入れられないのだ。

それでも、このままじっとしていても身体が痺れてくるばかりで、頭の中には、もしかしてこのまま死んでしまうってことってある…?という考えが浮かんでくる。今はなんともないと言いながら、頭も打っている。力尽きる過程で、脳内に何が起きるとも限らない。次々にマイナスな考えばかりが浮かぶ。

でも、ここまで来て死んでるわけにはいかない。だって、体幹内が狭くなって、少し食べたらすぐにご飯も不味く感じ始めたりするにも関わらず、体重も減らないし、そこまで顔色も悪くはないし、死ぬ気がしないのだ。

なんとか這って、テーブルに近づかねば、、、。もうどう動いたか全く覚えていないが、たった1m弱を動くのに15分か20分かかったと思う。そして、テーブルの足を揺らし、少し携帯電話の端っこが見えてきたら、床に落ちていた孫の手でなんとか電話を床に落とした。電源はまだ30%くらい残っていたと思う。

これで、助かった…。
その時はすでにそんな気になっていたが、そこからが大変だったのである。

顛末は「119に感謝🥲その2」に続く

119を読んでしまったショックで😨その後、更新ができず、収入もゼロ。
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