2018年12月24日月曜日

クリスマスオーボエナイト報告・みなさまありがとうございました

火鉢バー初めての音楽プチディナーショー「クリスマスオーボエナイト」。会場いっぱいのお客様にご来場いただき無事終了致しました。オーボエ演奏は関西から小林千晃さん、キーボードの伴奏は小林さんとこれまでもご一緒されたことのある宮本令子さんにおいでいただきました。

小林さんにはわざわざ大阪から来ていただいた上、ほぼボランティアで演奏いただいたにもかかわらず、曲のセレクトから構成、さらには、こちらからリクエストした曲にも対応いただき、楽譜の準備や練習時間を考えたら、プロの演奏家の方にここまでやっていただいて、本当になんとお礼を言っていいかわかりません。千晃さん令子さんありがとうございました!

私は音楽に造詣が深いとは言えないのですが、音楽は大好きで、死ぬまでに何かやり残したことがあるとしたら何ですかと問われたら「音楽」って答えそうですし、子どもの頃に習ってなくて後悔するものは「楽器」ですし、いつも鼻歌歌ってますし(鼻歌かい!)・・・、なので、火鉢クラブでもいずれ音楽を聞きながらお酒を飲む会をやりたいと思っていました。そして、週末に喫茶でアルバイトし、火鉢バーのために場所を貸していただいている隣町珈琲で出会ったのが小林千晃さんでした。

彼女は隣町珈琲でときどき講座をやって下さっている僧侶で学者の釈徹宗さんの教室の生徒さんで、隣町での釈さんの講座の前に、時々、ミニコンサートを開いて下さっていました。そこでの千晃さんの演奏、曲のセレクト、合間のトークの絶妙な間に触れ、私は彼女が大好きになりました。

クラシック音楽(いえ、全ての音楽ですね)をリスペクトしつつ、しかし、その権威にひれ伏す事無く、飄々と自分の好きな曲を演奏しながら、合間のトークで、私たちをニヤリとさせたり、クスリと笑わせる一言を発する。そして、その笑いの向こうにはちょっとした毒も見え隠れし、ほんわかした風貌の内側で、ものごとの本質を射抜いているような・・・そんな何かを感じて、私は小林千晃さんという演奏家が好きになりました。

隣町珈琲にいらっしゃる精神科医の名越康文先生が、彼女を「妖怪笛吹き行燈」と評し、その理由を音楽に向き合っている時には人間離れした雰囲気(まさに妖怪)を醸しているからとおっしゃっていましたが、まさに、そんなところに魅かれた私でした。そして、あるとき、小林さんに演奏会のお願いしてみたところ、こころよくやりましょうと言って下さいました。

けれど、それはあくまで火鉢バーが隣町珈琲でやっているものだからで、千晃さんが隣町珈琲を愛して下さってるからで、私がどこかよそで火鉢クラブのイベントとして彼女のコンサートを企画しても実現はしなかったと思います。そういう意味で、隣町珈琲の店主の平川さんと店長の栗田さんにもお礼を言わねばなりません。千晃さんはいつも、隣町珈琲で演奏するのは楽しいと言っていて、そういうこれまでの積み重ねが、今回の私の無謀なお願いを実現させてくれたわけですから。

そして、前出の釈徹宗さんも名越先生もfacebook上でこのイベントをシェアして、告知に協力して下さいました。これは千晃さんがお二人に愛されている証拠。ここでも私は助けられました。

さらには、今回食事の準備や片付けを手伝ってくださったみなさま、キーボードやアンプを貸して下さった方、リハーサル場所の提供を申し出てくださった方、そして、ご来場下さったみなさまの笑顔。本当にいろんな方の助けの元に、今回のオーボエナイトは盛況のうちに終わる事ができました。ありがとうございました!

今回の選曲については、オーボエになじみのないお客様がいらっしゃることも考え、CMなどどこかで聞いたことのある曲もリクエストして盛り込んでいただき、間口を広げたセレクトにしました。しかし、実際にふたを開けてみれば、お客様の感想で多く聞かれたのは、千晃さんがラスト2曲に選んだ、ベッリーニの「愛しい月」と武満徹の「小さな空」が良かったという声。

千晃さんも今回のお客さんの反応を受けて、ご自分のFacebookでこう書かれています。
『演奏者は選曲を攻めた方が良いと思います。
よく聴くから、知ってるから、安心するとも言えますが、初めて聴くけど好きだ、ということがあるわけでそこを私達は積極的にすすめた方が良いと思います。』

そうですよね。私も、分かりやすい曲から入ってみなさんの興味を・・・って思っていましたが、ちょっと浅はかだったかもしれないと気づかされました。私は千晃さんが届けてくれる「新しい出会い」をこそ意識せねばならなかった・・・。そして、それは千晃さん自身がやってくださいました。

音楽にしろ、美術にしろ、文学にしろ、そして、人にしろ、「出会った!」と思えることほど、嬉しいことはありません。

演奏家がその曲に出会った時の感動があるからこそ、聴く人にもそれが伝わる。もちろん、プロの技術でどんな曲でも作曲家の意図を読み、素晴らしい演奏をして観客を感動させる事は可能なのだけれど、でも、今回のような小さな演奏会では、普通のコンサートとは違う何かを受け取って帰って欲しいから、やはり「選曲は攻めた方がいい」ですよね!

その他のお客さんの感想としては、グノーとシューベルト、違う2人の作曲家の「アベマリア」の聴き比べもスゴく好評でした。作曲家は違えど同じタイトルの曲をを二つ続けて聴く機会って意外と少ないですよね。これも千晃さんのアイディアです。

会の終わり、火鉢バーでのコンサートという事で、火のある風景を歌った「ペチカ」を再度演奏し、みんなで歌わせてくださいという私の無茶ぶりにもこころよく答えて下さいました。途中、日本の唱歌(冬景色、雪、ふるさと)を会場のみんなで歌おうというコーナーもありましたが、オーボエに合わせて歌うってこと、考えてみたらほとんどの方が初体験だったのではないでしょうか。そんな貴重な体験もさせていただき、本当に楽しい時間となりました。

いろんな方のご協力の下で開催出来た今回のプチディナーショー。私は勉強させられることばかり。そして、音楽とともに過ごす時間はやはり素晴らしいということを再確認しました。そして、オーボエっていいね!ってことも。

演奏会の翌日、片付けも残っていて隣町珈琲に行ったら、帰阪の前に千晃さんが訪ねてみえました。ひとつ用事があったのですが、そのついでにと、片手には巨大な参鶏湯のレトルトの入ったデパートの袋。前の日、風邪気味かなと熱っぽそうな顔をしていた隣町珈琲店長の栗田さんに、身体が温まる差し入れです。そんな千晃さんには隣町珈琲に届いてたリンゴ1個(これはお店で出している100%リンゴジュースのもとになるリンゴです)が手渡され、バッグの中でつぶれることなく無事彼女と共に帰阪。黒いバッグの中で無事旅を終えた真っ赤なリンゴの姿が彼女のfacebookにアップされていました。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10218334081491281&set=a.1468011548146&type=3&theater

この日はお店で音楽以外のいろんな話もできて、12月21、22日はとっても楽しい2日間となりました。千晃さん、本当にありがとねー!感謝です!
本当に音楽って素晴らしいですね!
オーボエ奏者・小林千晃さんの情報を知るにはご本人のTwitterをフォローしてみてください!
https://twitter.com/ob_ck

2018年10月17日水曜日

火鉢バー10月の営業は

久々の投稿になってしまいました。
はや10月も半ば、夜は肌寒くなってきました。
夏の間お休みした火鉢バーもそろそろ再開と思いましたが、ちょっとこれまでとは形態を変えて、再開してみたいと思います。
普通のバーもたまにはやろうと思いますが、これまでよりイベントをふやしていこうと思います。詳しくは「火鉢バー日記」のほうに書いておりますのでご参照ください!

飲み会の途中にトークを交えるトーク飲み会なんてのもやってみたいと思います。

今月は20日に「自然栽培麦のパラダイスビアの試飲会」
       
28日におてあげとーくrevolution vol.1」を開催予定です。
 
      
詳細は上記リンクをご覧ください。


2018年8月14日火曜日

柞hahasoの火鉢・炭火を愛でる七輪



先週になってしまうのですが、銀座のイベントスペースで行われた展示会で、能登半島は珠洲、大野製炭工場の大野長一郎さんが炭と火の道具のブランド柞hahasoの商品を展示されていたので訪ねてきました。

柞(ははそ)という字は樹木のコナラ属などを指す言葉で、古くはクヌギなども柞の中に含まれたそう。つまり、大野さんが焼いている炭の材料となる木の名前です。それを炭火を楽しむ道具のブランド名につけたってわけですね。

右の写真はクヌギの苗です。クヌギを使う茶の湯炭を焼いている大野さんは、その材料となるクヌギを植林しています。以下は茶の湯炭。茶の湯はまずお湯を沸かすために炭をおこすところから始まり、それにも炭点前という名前がついています。炭点前に使う炭は全て形と焚べる順番が決まっています。それぞれの炭には名前もついていて、以下の写真のような感じ。
綺麗ですよね。



今回紹介されていたのはそんな美しい炭があかあかと燃えるところを愛でるための七輪です。七輪ですが、商品名は「hahasoの火鉢」みたいです。火を入れる鉢だから材料は珪藻土でも火鉢でいいのかもしれません。私がやってる火鉢バーも、七輪で炙りものをしてるけど、七輪バーじゃなくて火鉢バーって名乗ってますからいいんですよね。七輪だと炙るだけって感じがしますが、火鉢だと、いろんな形で火を楽しむ感じが出ますからね。


まさにこのhahasoの火鉢もそう言う商品。
中に一つしか炭は入りません。炭の大きさに空いた穴の中に入れるのは、切り口が菊のように美しい、菊炭とも呼ばれる茶の湯炭です。もちろん上に五徳を置けば、お湯を沸かすことも可能ですが、この火鉢では、お湯を沸かす機能よりも、上から見た赤く燃える炭火の美しさを愛でて欲しいとのこと。

お湯を入れたポットも、透明なガラスを通して見る炭火もまた美しいって意味で置いているとか。お湯も沸いて一石二鳥ってくらいのことらしいですよ。

ゆっくりと美しい炭火を愛でながら、透明なポットの水の中に少しずつ泡が生まれ、お湯が沸いていく様子も綺麗ですよね。気づいたらお湯が沸いていて、お茶を入れるためにポットを下ろせば、今度は直に赤く燃える炭火が見える。

一人で過ごすもよし、誰かと過ごすもよし。
静かな空間で、だまって炭火を見つめる。
言葉のない時間というのはかえって心をつなげてくれそうです。

火鉢バーでもいずれ炭火を愛でる会やりたいですね。

今回は東京の販路を作るための出店でもあったわけですが、現在、一部の通販で販売されているようです。

hahasoの火鉢(どんぐり商店街)
http://hibana.co.jp/shop/firetools/hahaso/


柞hahasoのお隣では、同じ能登半島から「ノトノカ」という香りのブランドが出店していました。能登にあるクロモジという木からとった精油とそれを使った石鹸などを販売されていました。ユーカリなどよりはもう少し優しい感じの、まさに日本の森の香り。



ああ、また能登に行きたくなってきました。








「型」って「身体から入る」ってことなのよねえ。今気づいた。映画『日日是好日』予告編

「頭で考えないで、自分の体を信じなさい」


これ、「日日是好日」って映画でのお茶の先生の樹木希林のセリフかな?

茶の湯炭をロゴにする火鉢クラブですもの、お茶の映画にも興味あります!


お茶というどちらかというと静のイメージで、「頭でなく体で」と言われると一見違和感があるが、「型から入る」ってことが「頭ではなく体で」ってことなんだろう。


そうか、「型」ってそういうことだったのか・・・。


形を作るのは体だものねえ・・・。そんな単純なことに今更気づいた。そう考えればお茶はフィジカルだ。私みたいな頭でっかちこそ、「型」から入らねばならないのだな!


50にもなってこんな単純なことに気づくのも、24年かかってやっとお茶がわかってきたというこの映画の主人公みたいでいいじゃないですかねえ。



「世の中にはすぐわかるものとわからないものの二種類がある」

ってのもこの映画のコピーです。



2018年7月27日金曜日

うれしいお客さま

去年の夏から、週一で店番をしている荏原中延の隣町珈琲。いつもは週末、土日いずれかにお店に出ているのですが、今日、店長の都合で、急遽代打でお店に出たところ、なんと、10時開店3分前にやって来られたお客さんが「火鉢の冊子買いに来ました。」と。さらに、どちらからいらしたんですか?と問うたところ、なななんと!「バンクーバーです。」えー!カナダから空飛ぶ火鉢を買いにやって来てくれたの〜?と驚いてたら、「実家が蒲田で、今、帰って来てるんです。」とのこと。にしてもすごい。こういうのを引き寄せって言うんですかね?

火鉢をバンクーバーでも使いたくて、購入したはいいが、向こうにはバーベキューで使うような屋外用の炭しか無く、泣く泣く部屋で火鉢に当たるのを断念。今はインテリアとなっているそうです。そうなんですよ、炭の品質などどこでも同じと思ったら大間違い。別に日本礼賛するわけじゃないですが、炭焼きの技術は日本ってピカイチで、世界中に指導に行ってるのです。きちんと焼かれた炭は着火後、煙も出ないし、嫌な臭いもない。炭の良い香りがします。ただ、品質の良い炭でも、モノを燃やせば必ず一酸化炭素は出ますので、それはご注意を。


というわけで、8月に入ったらバンクーバーに戻られるというお客様に、もう在庫切れで見本しかなかった「火鉢クラブvol.1」を記念に差し上げました。


「空飛ぶ火鉢」を作ってから1年あまり、もろもろの事情で2号がなかなか出せない状況ですが、今年の冬にはページ数少なくても出さねば!と思わせてくれる出来事でした。
たった一人のファンでも、こういうことがあるから、ものづくりって、そして飲食業もそうですが、人との出会いのきっかけを作ってくれる仕事はやめられないのでございます。
このところの暑さとかいろいろで、痩せて、体力も落ちてる今日この頃、更年期の鬱もあるのでしょう、心と身体がバラバラでなんとなく調子の上がらない日々。メディアの仕事、火鉢バー、喫茶、ヤフオクなどなど、小さな仕事をちょこまかと積み上げてなんとかかんとかやってく状況に疲れ、あー、もう色々やめたいなあ・・・という思いが再び沸き起こりそうになっていましたが、こういうことがあると、やっぱ続けなきゃなと思うのでした。


そして、もっと伝えたい、伝わる方法を模索したいとも思います。


この8月は、隣町珈琲の夜の部としてやらせてもらってる火鉢バーも極端に回数を減らし、お休みモードで仕切り直し。秋からのリニューアルを目論んでおります。火鉢クラブの活動、今後どうなって行くのか自分でもまだ見えていませんが、ちょっと初心にかえってみようかななどと思っています。


というわけで、火鉢バーは次回は7月31日(火)ビーフシチューとペリカンパンの会を考えてます。その次、8月の開催は、25日のみになる可能性もあり、間がスゴく空いてしまいます。火鉢バー行かなきゃと思って下さってたかた、しばらくお休みになるのでぜひ31日はいらして下さい。
私が経済的にピンチになったら、25日だけでなく、他の日も少し増やすかもしれませんが、そのときはSNSなどで告知します。よろしくお願いします!

2018年5月18日金曜日

こども食堂から考える〜民間の再分配の場としての火鉢カフェ

今日は固いタイトルになってしまったのですが、荻上チキさんのsession22というラジオ番組でこども食堂について語っていて、私も今、隣町珈琲という喫茶店でやっているこども食堂に参加していることもあり、こうした人の集まる「場」のあり方と自らの理想とする「火鉢カフェ」のあり方についてちょっと考えたので掲載したいと思います。
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私が参加している隣町こども食堂もスタートしてから半年、先月あたりから参加人数も増えてオペレーションも大変になったが、新しいスタッフも増え、次のフェイズに入った感がある。一方で、本当に必要な人に届いているのか、単なる遊び場になっていないかなどやりながらの葛藤もあった。しかし、こども食堂は単なる貧困対策ではない、地域のコミュニケーションの場を作るというもっと広い意味で捉えようというのがスタッフ間での共通認識でもあった。
そして、荻上チキのラジオで語られていたことも、概ねそういう話であった。
誰もが目を細める子ども食堂という名目で、お年寄りが来たり、いろんな世代が集まる口実になる。湯浅さんが、「つながりの貧困」という言葉を使っていたが、まさに子ども食堂っていうのは、そういうつながりの貧困を解消する場づくりのための突破口みたいなものなんだろう。

貧困には3つあって「お金がない」「つながりがない」「自信がない」と指摘していたが、誰もが訪れやすいこども食堂という場所はまさに全世代に「つながり」を提供する場所として機能しうる可能性を秘める。金銭的な面で本当に必要な人に届いているのだろうかという疑問は常にあるが、そこでやったことが、また別の局面を作り出することもある。

今朝、私のところに近所のおばあちゃんがお金を貸して欲しいといらして(この話は私のフェイスブックのタイムラインに投稿)、本当に今、私もお金がないので、泣く泣く断ったのだが、私にって来るっていうのはよっぽどのことで、たぶん、他に相談する場所がない。つまり「つながりの貧困」状態でもあるんだろうと思う。

民間ができるつながりを提供できる場について考える。

私が以前から考えている「火鉢カフェ」は、火を囲みながら、お茶を飲みながら、こういうつながりも提供できる場のことなんだろうと改めて思う。

カフェというインフラがあって、こども食堂というのは一つの突破口で、そのほかにいろんな営業や活動をやることによって、いろんな属性の人が集まり、一つの店の中で「所得の再分配」のようなことが起こるといいのではないか。「所得」だけではない。「つながりの再分配」とか、いろんな人が一つの場に出入りすることによって、そうした人々が直接は繋がらずとも、誰かが持ってきた金銭や知恵や、いろいろな恩恵が必要な人に届いて行く仕組みとか場所。来るもの拒まず、お客さん選ばずの姿勢ってそういうことなのかな・・・とか考える。

「再分配」とは行政の専権事項ではない。
民間での再分配とはどういうことか、所得に限らない幸せとか笑顔の再分配みたいなものについて考えてみたいと思った。

火鉢カフェのキャラ「火鉢さん」は、心が寒い人に炭火で暖かさを届けるアンパンマンみたいな存在として構想したが、これこそが「つながりの再分配」ってことなのではないかと思う。その再分配は多分、あんパンをあげるとか、お金の支援をするとか、簡単に目に見える方法では行われないのだろう。

カフェを訪れる人はそこで自分が好きなことをしているだけなんだけれど、いつの間にか自分の落としたお金が他のことで活用されていたり、自分の交わした会話が、他の人の助けになっていたり、気づかないままに行われる再分配。それが火鉢カフェの目指す「場」なのかもしれない。

それにしても、ラジオに登場されたこども食堂運営者の方の優しい目線には、自分の短気とか、斜に構えた姿勢とかをちょっと反省させられ、改めて、「場づくり」をちゃんと考えたいと思った次第。

子ども食堂っていろんな気づきをもたらしてくれるな。やっぱりやってみてよかったとおもう。

2018年5月14日月曜日

カフェという居場所〜浅草田原町フェブラリーカフェ、移転のための閉店パーティでした

しばらく、facebookや別のブログへの投稿が中心になっていて、火鉢クラブのブログが疎かになってしまっておりました。ここへきて、こっちをちゃんとやらねばと、投稿を再開します。

今日は、このところの行きつけだったカフェの移転のための閉店パーティ。そこで、火鉢カフェにも繋がる、カフェや喫茶店というものの価値とか在り方、「居場所」について考えたので、それを掲載します。すでにfacebookに載っけてるものと一緒ですが、ちゃんとアーカイブするにはブログの方がいいのでこちらにも掲載します。

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そのカフェの入った建物のテナントが立ち退きを迫られていると聞いたのは確か去年の夏。このお店はここにあるからいいのにって思っていた客としては、立ち退きは由々しき問題で、今年になってもずっとここで踏ん張ってくれているのは嬉しい限りでしたが、いよいよそうも行かなくなったようで、移転が決定してしまいました。13日の閉店後はすぐにでも解体が始まるようです。




浅草の猥雑の一本裏露地にはいろんな顔があります。このフェブラリーカフェのある四つ辻は上海の裏道みたいな、ちょっとサイバーパンク風味も入った、私たち世代には刺さる空間でありました。夏の夜には縁台を出して、ビール飲みたくなるような熱い風吹く、都会の裏露地です。

築何十年か分からない古い3階建ての建物。よくよく見れば、屋上があって、あそこがビアガーデンになればいいのにって常々言っていました。去年までは外でバーベキューグリルの炭火でチキンを焼いてるラスタカラーのバーも1階に入っていて、たまに店のお兄ちゃんが産地直送野菜も売ってたり、そのチキンを近所の主婦がお持ち帰りしたり、実はこの炭火グリルが店の唯一の熱源だったりと、その自由な空気が魅力の一角でした。

四つ辻のほかの3つの角も、「雷門パラダイス」というカラオケスナックや、今は締まりっぱなしの「パンチサイクル」という伝説の自転車屋とか、「こいこい」という業界人も御用達という居酒屋のピンクの電飾看板とか、「桃雲焙煎所」というコーヒー豆の焙煎屋とか、パラダイス、パンチ、ピンク、桃って、なんだかかわいらしい猥雑さを醸したスポットの中に意外にしっくりはまっているおしゃれカフェがフェブラリーだったのです。

今時は、食べログとか見て一軒の店を目指して訪ねる人が多いけれど、この一角は、この空間に身を置きたくて足を向ける、そんな場所でした。

朝8時10分に開店のフェブラリーカフェには、毎朝、近所のおじいさんが外でタバコをくゆらせています。店内は禁煙なので、冬の寒い日でもこのおじいちゃんは外にいて、フェブラリーのひとつの風景になっていました。禁煙だからというよりも、外の席が好きで座っている。

夕方には、私より一回り上の女性がいつもやってきて、新聞を読んでから帰ります。カウンターで、近隣のおいしい物の話をするのがお決まりで、私も随分、この界隈の事を教えてもらいました。

ペリカンパンを出す店として、また、マルゾッコのエスプレッソマシーンを備え、ポートランドの空気も感じさせるおしゃれカフェとして雑誌などでも頻繁にとりあげられ、インスタグラムの常連でもある店だけど、そういう事関係なくやってくる地元の常連さんがいっぱいいるのがこのお店。

それはやはり店員さんたちのフレンドリーな人柄に寄るところが大きいのでしょう。私が通い始めてから今まで、店員さんの出入りはあったけれど、みんなフレンドリーで、それぞれのキャラが立っていて、多分、それぞれのお客さんの中に、店員さんたちと自分のそれぞれの「フェブラリーカフェ物語」が紡がれているであろうと思われます。


今回、この理想的な四つ辻からフェブラリーは移転してしまうけれど、この人のパワーが変わらなければ、次の地へ移っても、こんどはその場所に新しい風を吹き込むことでしょう。そして、このお店がすごいのは、そういう人との繋がりみたいなことを特に強調するでもなく、居心地のいいカフェにしたいということだけで、つい、私とかが語っちゃいそうな能書きに拘らずやっているところ。それが自由な空気を生んでいるんだと思います。

逆に心配なのは残されたこの四つ辻。フェブラリーとラスタバーのあった一角が解体され、次に何ができるのか。この土地が売られるとしたら、心ある開発者の手に渡ることを願っています。

2020年の東京オリンピックに向けて、東京の特に観光地は今、激変の時期にあります。田原町界隈もホテルやマンションの建設ラッシュ。耐震を理由にどんどん古い建物が解体され、地元の庶民が日々通う個人経営の飲食店などが、人気店であっても閉店しているような現状を見ると、その土地のもつ空気感とかお構いなしに経済効率優先でものごとが進んでいるのがあからさま。

私も喫茶店でお手伝いをして思いましたが、今時、数百円のものを多売して売り上げを上げるより、会社勤めをした方がずっと効率が良いし、そんな苦労は親の世代も子ども世代にさせたく無くて…というのもあるんでしょう。

でも、このフェブラリーの店員さんたちは、徐々に自分のお店実現、独立に向けて、ここをステップにがんばっています。今回の移転を機に、1人が今月から新たなカフェを開業。もう1人が開業に向けて、店を離れる事になりました。私よりずっと年若い彼らの姿を見ると、なんだか日本の前途もそんなに暗いもんじゃないかもって思えて来ます。





一杯のお茶を飲みながら、たまたま席を同じくした人が世間話をしたり、しなかったり。そして、自分もそのコミュニティの中のひとつの風景になる。名前を憶えてもらう事が嬉しいって感覚はやっぱり大切にしたいことのひとつです。名前を憶えてもらわずとも、黒縁メガネのあの人だっていいのです。

今、糖質制限して甘いもの控えてるって言えば、次からは食パンにつけるシロップは容器に3分の1の量で出してくれたり、そういう場所をもてることが、どれだけ心の支えになるかを知ったここ数年。実は私も最初はペリカンパンを出すとか、おしゃれだとか、そういう興味で行き始めたのだけど、通うにつれ、そういうことでもないんだよなと思いはじめました。

おしゃれなカフェへの偏見がなくなったというのかな…。おしゃれな風貌=排他的ではないっていうのか…。すべては自分の気の持ちようっていうのか…。

以前はカフェや喫茶に1人で行って、店員さんと会話することは少なかったのですが、ここに通い出してから、他のお店でも話をするようになりました。そこには、「浅草」という昔から観光地である場所の空気も関係しているのかもしれませんが、その話はまた別の機会に。

とにもかくにも、このフェブラリーカフェ、私がカフェとか喫茶店というものの価値とか在り方を考えるきっかけとなったお店です。移転後は駒形へ。テーブルなどはそのまま持って行くそうですが、どういうお店になるか楽しみです。

そして、自分があったらいいなと思う火鉢カフェというのは、別に火鉢があるカフェってことだけじゃないんだよということをあらためて思いました。多くの人が居心地のよいと思える「居場所」を作る。もちろん、全ての人に居心地良いと思ってもらう事は難しいと思いますが、世の中にはいろんなカフェがあるのだから、みな、それぞれにあった場所を探せばいい。そんな個性ある小さな居場所がたくさんたくさん寄せ集まった世の中ってのがいいなあと漠然と思ったりしています。